ママとお母さんのこと

母と縁を切った直後はかなりしんどい状態だった。主治医に「これからよほどのことがない限り会わない覚悟はあるのか」と繰り返し問い詰められて怖かったからというのもある。でもそれで踏ん切りがついた。本当に会わないのだと決められた。

 

僕はもう、ママの幸せを一番に願わない。自分の幸せを、自分の大好きなひとたちの幸せを一番に願うし、幸せになるためなら色々なことをやる。ゆたかを全力で守り、育てていく覚悟はある。僕はこれからの人生を、まず自分自身のために生きていく。自己犠牲は美しいかもしれないが、度を過ぎれば我が身を滅ぼす。

 

僕は、本当はママが大好きだった。優しくて、温かいママ。あまりに不完全なママ。僕は僕のことが世界で一番嫌いで、ママのことを世界で一番愛していた。いや、過去形ではない。今でもずっと愛しているのだ。それでも、昔のようにエネルギーが無限に湧いてこなくなった。枯渇した。もうママを支えることもできなくなったし、ママに関わることすら苦しい。

 

11歳になっても頑なにママと呼び続けるのは、僕にはお母さんと心の中で呼ぶひとがいるからだ。そのひとはママより長く一緒に居たし、ママより親らしくて、ママより優しくて、安定していて、温かくて、たくさん触れ合ったし、たくさん話した。そのひととは6歳から14歳までの8年間一緒に居た。

 

告白しよう。僕はママより「お母さん」を強く強く愛している。「お母さん」は今、死に至る病に侵されていると風の噂で聞いた。でも僕は「お母さん」に会えない。それにはあまりにも複雑な事情がある。ママに死ぬまで会えないことは、悲しくはない。既に5年以上会ってないのだ。別に構わない。でも「お母さん」に会えないことは、悲しくて悲しくてたまらない。

 

お母さんの子どもは、ゆうすけという名前で、僕と同い年だった。僕はその子が羨ましくてたまらなかった。だから、僕の名前はゆうになったのかもしれない。

 

ママには僕のことは綺麗さっぱり忘れて欲しいと心から思う。僕はママを不幸にする存在でしかなかったから。けれど、お母さんには僕のことをずっとずっと覚えていてほしい。忘れないでほしい。時々でいいから、思い出してほしい。会いたいと思っていてほしい。それがどんなにお母さんを苦しめるのだとしても、僕はお母さんに記憶され続けたい。

 

ママと縁を切って、お母さんにはもう会えなくて、僕にはこの先頼れる母というものがもうない。途方もなくて、孤独だと感じる。可愛い可愛いゆたかだって居るし、カウンセラーだって居るし、介助者も居るし、友人も居るし、色々な人たちに囲まれているのに、お母さんをどこまでもどこまでも求め続けている。孤独だと勝手に感じている。

 

もしも願いが叶うなら、もう一度だけお母さんに抱きしめられたい。