母のこと 1

僕らは5年前に母親と縁を切った。理由は、僕らが生き残るためだった。そして今年10月に電話で久々に連絡を取った。今ならやり直せるかもしれないという淡い期待があった。でも駄目だった。母親は自分にとって都合の悪いことを全て忘れていた。人間じゃないと怒鳴り散らしたことも、ゲームにばかりお金を使ってご飯がお菓子だけになっていたことも、熱湯をかけたことも。

 

僕はストレスで顔がひきつるようになった。これはやばい、と気がついた。母親にもう関わりたくないと言ったら「私もです。記憶にないことを責められるのは辛い」と言われた。そして、別の人格がキレて全てのアカウントで母親をブロックした。

 

昨日、母親にこの人生で最後の手紙を出した。ぼくはママを守ることに必死だったこと。ママの幸せがぼくの全てだったこと。ママに酷いことを言われたりされたりしてもママを愛していたこと。でももうママを支えるエネルギーがないこと。ぼくのことはもう忘れて欲しいこと。でもぼくはママと過ごした日々を忘れないということ。ぼくは厄病神でママを不幸にするから、ママの人生から退場すること。一生関わらないでくださいということ。今でもずっと愛しているということ。コンビニまで歩いて行って切手を買って貼ってポストに投函した。ポストのなかでごん、と音がした。もう後戻りできないと思った。

 

そして僕らはまた縁を切った。もう二度と戻ることはない。

 

精神科で主治医に言われた。「今後、一生、余程のことがない限り会わないという覚悟があるんだね?」と。僕は、なけなしの勇気を振り絞って「うん」と答えた。11歳の僕に対して言っていい言葉ではないと思う。態度もかなり高圧的で怖かった。それでも「うん」と答える他なかった。

 

どうして実の母親とこんなにもうまくやれないのだろうか。僕に欠陥があるのではないかとさえ思う。だって聾学校の先生は、僕を散々最低だ、屑だと罵った。それはきっと間違ってなんかいなかった。僕は確かに最低で屑だった。ねえ、お願い、誰かそれを否定して。最低でも屑でもないと言って。心の中で叫ぶ。泣きながら叫ぶ。僕は生きる資格がないのかもしれない。死んで償わなくてはならないのかもしれない。そう思うこともある。

 

僕には一生がどれほどの長さなのかわからない。僕はまだ11歳なのだ。人生は途方もなく先へ先へと長く続いているのだ。母はもう少しで50歳になる。平均寿命を考えればあと30年ほどか。それでも、もう二度と会わないと決意したのだ。僕が僕の人生を歩むために。

 

僕はもっともっと強くならなくてはいけない。哀しいほどに強く。痛々しいと言われたって構わない。冷たいと言われたって仕方ない。だから僕は、これから先の人生を生き抜くために、重苦しい過去を背負い続けるために、強くならなくてはいけない。

 

人生とは一体何だろうと思う。人格が11にもなり、目と耳の進行性の障害があり、重度精神病患者になり、膠原病も患い、母親とは縁が切れ、消えない過去を背負わされ……なぜこれで生きていられるのかと不思議に思う。それでも、母親と縁を切った後に見た空はとても晴れ晴れとしていたのだ。あまりにも気持ち良かったのだ。幸福を感じたのだ。

 

僕は決意する。この先の人生で出会うであろう様々な人たちに、「お母さんは?」と聞かれたら即座に「いない」と答えようと。僕の中で母は死んだ。もう生きてはいない。縁を切るというのはそういうことだ。

 

強くならなくてはいけないはずなのに、涙が溢れるのはどうしてだろうか……。