人格によって違うこと

消えた人格も含めて全部で11の人格がいる。

それだけいると、それぞれ個性もはっきりとしてくる。

 

例えばゆたか。

ゆたかは誰よりも目が見えていて、眼鏡も要らない。白杖がなくてもすたすた歩いていける。(危ないから使わせるようにはしているけれど) 補聴器も、ゆたか専用のプログラムがある。ぼくと同じプログラムだとうるさくて頭痛がするらしい。猫のお腹に顔を埋めても全く問題ない。甘酒が大嫌い。電車の車内放送はほぼ完璧に聴き取れるし、電話が大好き。身体の不調に敏感。

 

そしてぼく。

ゆたかほどに視野は広くない。眼鏡はあってもなくても良い。白杖も本当は使いたくはない。危ないから使うようにはしているけれど。補聴器は、ゆたかより6dB大きいプログラムにしてある。甘酒は飲める。38度を超える熱があっても割と平然としている。

 

そして消えたゆたか兄。

恐らく一番視野が狭い。ゆたか兄の視野を、ゆたか兄が消えた後に体験する機会があったけれど、あまりにも狭くてこれでは街中を歩くのも大変だろうと感じた。よく段差に躓くひとだった。白杖がないと外出できなかった。耳はぼくとゆたかの中間だった。電車の車内放送は聴き取りづらいようだった。電話も苦手だった。甘酒が大好きだった。猫が近くにいるだけで呼吸困難になったり、目がかゆくて赤くなったりした。暑さ寒さをほとんど感じられず、真冬にシャツ1枚で外に出かけていた。

 

同じ身体なのに、なぜ目の見え方、耳の聞こえ方、アレルギー、温度や身体の不調の感じ方がこんなにも変わるのだろうか。とても不思議なことだと思う。周囲からも、「今日はすごく耳の聞こえがいいね」などと指摘されたことがあるほどだ。

 

でもこれを逆に活用することがある。ぼくらは病気のせいか、慢性的に38度前後の熱がある。最高だ38度7分にまで上がったことがある。でもぼくは平然としていられるから、東京の病院まで長距離移動をするときにぼくが出る。ぼくが駄目でも、他の鈍感な人格が出てくれることもあった。人混みを歩くときは比較的目が見えているぼくかゆたかが出る。電車が止まったときはゆたかに通訳してもらう。猫の世話はゆたかがやっている。

 

便利と言えば便利なのかもしれない。ゆたかがはっきりと出てくるようになったのは今年4月からのことだが、それ以前は「耳はこれより良くなることはない」と思い込んでいた。それなのにゆたかはとてもよく聴こえる。目にしたってそうだ。何があっても視野が広がることはないと思っていたのに、ゆたかはそれなりに広い。ぼくにはその見える世界や聞こえる世界を体験することができないが、情報を仕入れてもらうことはできるのだ。

 

なぜ、ゆたか兄の視野は比較的狭かったのか。耳が聴こえにくかったのか。それはきっと過去のトラウマが関連しているのだろうと思う。

 

例えば「お前は最低だ」という言葉が聴きとれるのと「おあえああいえいあ」という風にしか聴き取れないのとでは心に受けるダメージが違うと思う。

例えば誰かが誰かを殴る場面が見えるのと、見えないのとでも心に受けるダメージは違うと思う。

 

きっとゆたか兄はそんな風にして自分の世界を閉ざしてしまったのだろう。それはとても悲しいし、加害者を許してはならないのだと強く思う。