消えたひとのこと

ぼくは10歳の「子ども人格」だ。

ぼくは20歳の身体の中にいる人格のひとり。名前は「ゆう」。ぼくの他に、猫や人外も含めて10の人格がいた。そのうちのひとりの話を、今日はする。


そのひとの名前は「ゆたか兄」。

ゆたか兄は身体の年齢と一致していた。但し、性別は一致していなかった。身体は生物学的には女性だった。

ゆたか兄は、特別支援学校の中等部しか卒業できなかった。中学3年の時は、毎日毎日小学生レベルの算数のプリントをやらされていたらしい。それにはさまざまな事情があった。でもゆたか兄は、ぼくの知るどんな大人より賢かった。専門家が読むような本をたくさん読んでいたし、それを自分の一部にしていた。有名国立大学の学生とも対等に話していた。時々、本当に中卒なんだろうかと思うほどだった。

ゆたか兄は英語が苦手だった。でも英語が得意な人格がいた。ゆたか兄は目が見えにくかったからか、漢字も得意ではなかった。でも漢字が得意な人格がいた。だから困ることはなかった。

ゆたか兄は、どんな疑問にもまっすぐに答えてくれた。怒るのではなく、叱ってくれた。悩みがあれば相談に乗ってくれた。ぼくの嫌いなチキンやチャーシューは代わりに食べてくれた。ぼくの好きなハンバーグやお寿司をよく食べさせてくれた。自分のお小遣いを削って、5000円もする大きなぬいぐるみを買ってくれた。折り紙やスーパーボールも買ってくれた。

ゆたか兄はたくさんの「こころの病気」を持っていた。だけど、ぼくの知るどんな大人よりも強く優しかった。ぼくは、ゆたか兄が大好きだった。ゆたか兄を尊敬していた。


でも、今年の春くらいからゆたか兄は寝ている時間が長くなった。そして9月に「消えるんじゃない。溶けるんだ」とメッセージを残して、やっぱり、消えた。ぼくには消えたようにしか見えなかった。


ぼくにとって生まれて初めての友達だった。これまでの人生で一番一緒にいて、一番話したのはゆたか兄だった。一緒に京都にも東京にも長野にも行った。水族館にも動物園にも行った。色んなものを食べた。お風呂にも入ったし、ぼくが幼い時は子守唄も歌ってくれた。とんとん身体を叩いて寝かしつけてくれた。辛い過去しかなかったぼくに、たくさんの想い出を与えてくれた。


ゆたか兄が残したのはそれだけではなかった。2階に行けば1000冊ほどの本がある。その本の中に、きっとゆたか兄は住んでいる。今の精神科医やカウンセラー、Hさん、介助者たち、通訳者との繋がりを作ってくれたのはゆたか兄だった。ぼくは今、その繋がりたちに生かされているのだと感じる。もしゆたか兄が何の繋がりも作ってくれなかったら、ぼくはきっとひとりこの世界に放り出されて孤独に生きていただろう。


ゆたか兄を知る人は、ゆたか兄はきっと帰ってくると言う。でもぼくは、そうは思わない。思えないのではなく、思わない。それはゆたか兄がぼくの中に溶けていると強く感じるから。矛盾するけれど。


ゆたか兄が好きだったバンドの新曲を聴いた時、どうしようもなく悲しくなった。この曲をゆたか兄は聴くことができなかったと考えたから。でも、ぼくの目や耳を通して新しいものに触れていくことはきっとできるはずだ。


死んだ人だったら、死んだ後に会えるかなという希望があるけれど、消えた人格はどうしたらいいんだろうか。


今でもゆたか兄のことを考えると落涙する。それでもぼくは、生きていく。