2019-01-01から1年間の記事一覧

母のこと 1

僕らは5年前に母親と縁を切った。理由は、僕らが生き残るためだった。そして今年10月に電話で久々に連絡を取った。今ならやり直せるかもしれないという淡い期待があった。でも駄目だった。母親は自分にとって都合の悪いことを全て忘れていた。人間じゃないと…

とある教員のこと

ぼくらが6歳の時、聾学校に新しい教師が来た。巨体の男性だった。当時40代半ばだったろうか。厳つい顔だった。 寄宿舎に来た時はよく一緒に遊んだ。トランプとかウノとか、そんな遊びだったと思う。一見怖そうだけど悪い人ではないと当時は感じていた。先生…

手話のこと

ぼくは聾学校という、耳が聞こえにくい人が通う学校で育った。そこには色々なコミュニケーション手段があった。 キューサインといい、子音だけを手で表し、母音を口で表すもの。だから覚えなくてはならないのは、あかさたなはまやらわ、ん、その他濁点などだ…

人格によって違うこと

消えた人格も含めて全部で11の人格がいる。 それだけいると、それぞれ個性もはっきりとしてくる。 例えばゆたか。 ゆたかは誰よりも目が見えていて、眼鏡も要らない。白杖がなくてもすたすた歩いていける。(危ないから使わせるようにはしているけれど) 補聴…

記憶

時々ぼくは思う。自分が虐待されていたなんて、嘘だったんだと。自分は両親に愛され、きちんとした教育を受け、大人になったのだと。 ではなぜぼくは子ども人格なのだろうか。身体と心の年齢が一致しないのだろうか。なぜ11もの人格が必要だったんだろうか。…

子ども人格として生きるということ

ぼくは20歳の身体の中にいる、10歳の子ども人格だ。でも語彙量はきっと大人に匹敵する。アナログ時計も読めないし、二次方程式も分からないけれど、言葉ならたくさん知っているし、自在に操ることができる。 ぼくは大人のふりをして外の世界の人と話す。でも…

消えたひとのこと

ぼくは10歳の「子ども人格」だ。ぼくは20歳の身体の中にいる人格のひとり。名前は「ゆう」。ぼくの他に、猫や人外も含めて10の人格がいた。そのうちのひとりの話を、今日はする。そのひとの名前は「ゆたか兄」。ゆたか兄は身体の年齢と一致していた。但し、…