手話のこと

ぼくは聾学校という、耳が聞こえにくい人が通う学校で育った。そこには色々なコミュニケーション手段があった。

 

キューサインといい、子音だけを手で表し、母音を口で表すもの。だから覚えなくてはならないのは、あかさたなはまやらわ、ん、その他濁点などだけだった。

そして手話。これは有名だろう。

また、声だけで話すこともあった。

 

ぼくはキューサインが好きだったし、一番自然なコミュニケーション手段だと思っていた。だが、それは受け容れられることがなかった。クラスメイトはぼくを除いて3人。そのうち2人は手話が好きだった。もう1人はぼくと同じでキューサインがメインだった。だからぼくは手話を使うクラスメイトとあまり話さなかった。とはいえ、人が嫌いだったからキューサインを使うクラスメイトとも話さなかったけれど。

 

ある日、道徳か学活か何かの時間に、教師に聞かれた。「みんなは手話とキューサインどっちがいいか」と。2人は迷わず手話だと答えた。ぼくはうまく答えられなかった。もう1人は2人と教師に怖気付いてしまった。そして、その日からぼくらは自分のいる教室の中でキューサインを禁じられることになった。キューサインを使えば怒鳴られた。

 

ひとつ、忘れられないことがある。ぼくが校外学習で移動中、指文字の練習をしていたら「嫌味っぽいからやめてほしい」という意味のことを言われ、教師にも怒られたことがあった。押し付けられたものを嫌々練習していたから、なのだろうか。

 

それからの日々は散々だった。教室の中では手話を使わされた。発音指導の先生の前ではキューサインを使わされた。寄宿舎では声だけで話さなくてはならなかった。自分自身の、安心できるコミュニケーション手段などなくなってしまった。ちなみに母親は手話を押し付け、父親は手話を嫌った。

 

結果としてぼくは分裂した。手話ができる人格と、手話が怖くてできないぼく。勿論その人格が生まれるのには他にも理由があったはずだろうけれど。

 

ぼくはあれから10年以上経った今でも手話が怖いままだ。慣れた人の手話ならまだ耐えられるが、街中で手話を見かけると恐ろしくて逃げてしまうことがある。それもまた差別や偏見と呼ばれてしまうのかと思うと悲しくなる。

 

手話に罪はない、と人に言われたことがある。頭では分かっていても、そう簡単には変えられない……。