知的障害者との関わりについて

僕は6歳の時、知的障害を伴うダウン症の15歳の女性と同室で生活していた。

 

彼女は殆どコミュニケーションができなかった。僕は幼心に、なぜこの人は顔が違うのだろう、変な声を出すのだろう、僕より子ども扱いされるのだろう、行動がおかしいのだろうと思ったし、違和感があった。それでも口にできるような雰囲気ではなかった。口にすれば、差別だと叩かれそうだったから。

 

はっきり言えば6歳の僕にとって、全く意思疎通を図れない赤の他人と1年間同居するのはそれなりに辛いことだった。なぜ言葉が通じないのか、その理由さえ教えてもらえなかったのだから。言葉の通じない人と同居していた僕は、自分の中の世界ばかり豊かになった。空想ばかりしていた。

 

今でもあの時どうすれば良かったのかを考える。せめて、知識が欲しかった。染色体異常によるものだとか、生まれつき苦手なことがあるとか、そういったことを僕は知りたかった。説明されれば理解しようと務めることはしたはずだ。当時は周囲に子ども向けの本ばかりで大人向けの本を読むことは禁じられていたし、インターネットは現在ほど普及していなかったから自ら情報を得る術がなかった。

 

彼女とは別に僕が小学1年の時、4年の男子生徒が居た。彼も知的障害者だった。知識量は6歳の僕よりも不足していたと思う。僕は彼と話す時、彼の知識量に合わせていた。難しい話は避け、平易な言葉遣いを心がけていた。彼が僕の「変なところ」に触れば、やんわりと「やめて」と伝えた。それでも彼は泣いた。そうすると、僕が怒られた。そのうち、変なところを触られるのを拒むのをやめた。それがたとえ彼以外の人であったとしても。嫌なことを嫌と言えば怒られるから、嫌なことを嫌と言わなくなった。それが、ただひとつの生き残る術だと勘違いしてしまった。彼を嫌うことさえ、許されなかった。僕は彼が人間的に嫌いだったが(そもそも僕は人間自体があまり好きではなかった)、それさえも教師からすれば差別らしかった。僕は彼が好きな振りをした。それは彼に対してとても失礼で不誠実な行いなのだと常に自分を責めた。だから僕は周囲の一人一人にとって都合のいい人間をいくつもいくつも作った。彼が好きで、彼と遊ぶのが心底楽しい僕。彼が大嫌いで、激しく憎んでいる僕。手話が得意な僕。手話が怖くて見るのも耐えられない僕。ママに甘える僕。ママを守るために盾になる僕。寡黙な僕。多弁な僕。感情が豊かな僕。無感情で無表情な僕。

 

そのうち、どれが僕なのか分からなくなった。いつもいつも、映画を見ているようだった。安っぽくて人気のない映画。薄い膜が張ったように見える世界。だからよくフリーズして、周囲を驚かせた。全く動けなくなるのだ。目の前で指を振られていても、分からないのだ。反応できないのだ。時には記憶を失い、補聴器という精密機器をぶん投げたことさえあった。

 

勿論こうなったのは彼や彼女自身に非があるわけではなく、周囲の大人に非があるのだと思う。適切な知識を与え、適切な距離感を保てる環境があればそれで良かっただけなのだ。また、僕自身にも先天的に解離しやすい傾向があったのかもしれない。家庭環境の悪さがそれに拍車をかけたのだと思っている。

 

今でもあの日々のことをよく考える。