妄想

妄想に取り憑かれるとはどのような感じなのか、僕は経験したことがない。

 

妄想について書く。

 

5年ほど前、他の人格が高校に通っていた。勿論人格交代も日常的にあっただろう。他の人格を彼と呼ぶことにする。彼は男子クラスメイトに好意を抱いていた。それは恋愛的なものだったかは不明だ。因みに別の女性人格は2つ上の男子の先輩に恋していた。男子クラスメイトを、仮にAとする。Aとは学習グループ(習熟度別)で、理系だけ同じだった。週に何時間か同じ教室で勉強していたらしい。

 

僕らは当時、常に希死念慮に苛まれていた。2015年3月のある日、朝から「今日こそは死のう」と思って学校に行った。放課後にどうやって死ぬかを延々と考えていた。1時間目は体育だった。彼とAは得点板をめくる担当になった。Aとふと目が合った。Aは彼に対してニッコリ笑った。彼は、このひとを泣かせてはならないと思い自殺をやめた。側から見たら単純かもしれないけれど、彼にとってはそれで良かったのかもしれない。

 

なのに3ヶ月後の梅雨の晴れ間のある日、Aは屋上から飛び降りて死んだ。彼は深い絶望のどん底に落ちた。

 

Aのことに関して、TwitterやLINEで語ってはならないと言われた。学校はまるでAの自殺をなかったことにしたいようだった。彼はなぜそうなるのか教員に問い詰めた。「上からそう言われたから」としか返ってこなかった。

 

そこから彼の妄想は始まった。僕らが通っていたのは某大学の附属学校だった。彼は、自殺を隠蔽しようとしているのは某大学の陰謀だと言い始めた。僕にはそれを理解することができなかった。それが進行して国家の陰謀とまで言い出した。余計理解できなかった。それが3年くらい続いた。その間に大量の抗精神病薬を飲んだ。

 

そして、統合失調症だと言われた。

僕には本当に理解できなかった。国家の陰謀論になど興味はないし、考えたこともなかった。宇宙から電波を受信した覚えもなかった。幻聴も幻視も、激しいものを経験したことはなかった。強く強く空想することで、自らそれを創り出すことはあれど、コントロールは可能だった。「死んでしまえ」というような声を聞いたことは一度たりともなかった。

 

これは病気の否認だろうか。病識がないということなのか。いや、少なくとも僕という人格には、それがないというだけなのだ。

 

例えば僕は声が出なくなることがある。だから失声症だと診断された。でも、他の人格は普通に声が出る。もし他の人格が出ている時に「あなたは失声症です」と言われても意味不明だろう。だって一度も声が出なくなったことなどないのだから。それと同じなのだ。あまりにも不思議なのだ。

 

極端かもしれないけれど、あなたの中の彼という人格は統合失調症で、ゆう(僕)という人格は失声症だと言われれば理解できるのだが。

 

因みに彼の妄想は最近は落ち着いていて、その妄想を抱いていたという記憶があるかさえ定かではない。